1988年1月から9月までアパルトヘイト下の南アフリカの港町ダーバンに、当時の夫と1歳だった娘と3人で住んでいた。肌の色はだいたい同じ人間ばかりの日本で生まれ育った私にとって、肌の色での人種差別を目の当たりにした衝撃は大きかった。それを書き留めておきたいと思い、このブログを始めた。
私がアフリカに行きたいと初めて思ったのは、小学生の時。父が仕事でケニアやタンザニアに行くことがあり、シマウマの毛皮のラグ、今では禁止されているが、象牙の置物やライトなどが家に増えていった。アフリカ人がわが家を訪問してくることもあり、世界が広がったのだと思う。
そんなアフリカに私が行くチャンスは結婚してようやく訪れた。成田から台湾、もう一か所モーリシャスだったかを経由して、南アフリカ共和国の首都、ヨハネスブルクへ。そこから国内線でダーバンまで、トータルで27時間ぐらいかかった。学生時代にヨーロッパやアメリカに行かせてもらったことがあるが、それも比ではないくらい遠いところに来たと感じる時間だった。我が家は1歳の子どもがいたので、会社が最短ルートでチケットを用意してくれたようで、他の人たちは40時間ぐらいかかっていた。
南半球は1月が夏で、ダーバンの気候は温暖であった。ここに着き、やっとアフリカの地を踏めたと感動した。動物が歩いているわけではなく、目の前にインド洋が広がる、マンションや公園がある静かな町だった。初めは物珍しさから、毎日散歩していた。そのときに気づいたのが、松葉杖を使っている人の異常な多さである。当時の平均寿命は50歳に届かなかったので、今でいう若い人がほとんどだったと思う。あまりに目につくので怖かった。後で聞くと、黒人は悪いことをすると、足を切断されてしまうということだった。そうすればもう悪いことはできないし、逃げられないというのが理由らしい。残酷な非人道的なやり方に衝撃を受けた私である。
ちなみに、当時、反アパルトヘイト運動で27年間投獄され、後にノーベル平和賞を受けるネルソンマンデラは塀の中で自由のない生活を余儀なくされていた。
“松葉杖の人が多い理由” への2件のフィードバック
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