私が初めて見たアパルトヘイト


1988年1月から9月までアパルトヘイト下の南アフリカの港町ダーバンに、当時の夫と1歳だった娘と3人で住んでいた。肌の色はだいたい同じ人間ばかりの日本で生まれ育った私にとって、肌の色での人種差別を目の当たりにした衝撃は大きかった。それを書き留めておきたいと思い、このブログを始めた。


南アフリカではよく外食をしていた。もともと外食好きのわたしたちで、安い上においしかった。特にダーバンはインド洋に面しているので、シーフードも新鮮だった。わたしたちがよく行っていたレストランは、ディナーで、大人二人おなかいっぱいになるまで食べて(まあ、一皿の量も多かったが・・)、ワインを一本空けて、デザートまで食べて、だいたい3000円ぐらいだった。手ごろな値段のせいか、いつもにぎわっていた記憶がある。
このレストランだったかは定かではないが、とにかくレストランでのちょっとした出来事が、私が一番初めに感じたアパルトヘイトだった。そのレストランは、客席の中央あたりに大きなテーブルがあった。できあがった料理がキッチンからそこまで運ばれ、そこから客のテーブルに運ばれる。ただし、料理は同じ人に運ばれることはない。キッチンからその大きな中央のテーブルまで運ぶのは黒人、そのテーブルから客席に運び、直接サーブするのは白人となっていた。
わたしたちはそのテーブルの近くの席だった。そのときは、まだ南アフリカに着いたばかりの頃で、言葉でしかアパルトヘイトを知らなかった。フォークか何かを落としたので、新しいそれをもらおうと思って、近くにたまたまいた黒人のウエイターにフォークがほしいと頼んだ。でも聞こえなかったようなので、何度か呼びかけてみた。すると、小さな声で、「私に言わないで、客と話せない」というようなことを言われた。そう、そこには黒人の客はいない。正確には、入れない。客はすべて白人や黄色人種である。そして客は白人や黄色人種のウエイターやウエイトレスに話しかけなければならないのだ。オーダーするときも、ちょっと紙ナフキンをもらうときも。客にとって、黒人はまさに黒子状態でなければならない。これが私が一番初めに知ったアパルトヘイトである。


“私が初めて見たアパルトヘイト” への2件のフィードバック

  1. 返信遅くなりました。
    初めてのhttpから始まる検索に手間取りました。
    さらにローマ字表記から、漢字に変換する難しさを感じ、
    ようやくたどり着きました。

    ① 私達の外地での休暇の場合は、二三日の入港中
      減速船内での居住で、一日数時間の上陸し買い
      物をするくらいでした。
      ご家族で、初めての海外それも、アパアルトヘ
      イト下の町での生活の日々、私達には想像もつ
      かない苛酷な体験をされましたね。

    ② レストランで感じられた、白人の作ったアパル
      トヘイトの(黒子に徹する)過酷な現実を垣間
      見られましたね。

    ➂ ページの初めの鳥の絵についてお聞きします。
    きれいな鳥ですね、何という名前ですか、大き
    さはスズメ位でしょうか、鳴き声は如何ですか。

    その後、憧れのアフリカ(南ア)の印象に変化は有りましたか。

    私が初めて乗船したのは、サハラ砂漠沖の、スペイン領の
    カナリア諸島のラスパルマスでした。
    その時に大流行していた、歌がVIVA ESPANA という曲です。

    YouTubeですぐ見つかると緯思います。
    作られたのはドイツとの事で、ドイツ語とスペイン語のバージョンが有り、聞き比べされてください。

    たちまち心がウキウキする事請け合いです。

    最後にokikamuro.com を尋ねられてみては如何でしょうか。
    大谷さんのご出身が周防大島の沖神室(ぉきかむろ)島の様です、近況が分かるといいですね。

    杉本さんと連絡する機会が有りますが、こちらのブログのことをお話しても宜しいでしょうか?

    杉本さんも各国に行かれて、色々な体験をされて居られますので、違った見方を知る事が出来るのではと思います。

    現在私のパソコンは調子が悪くメールを見る事が出来ません

    当方のPCの都合で、着信のメールの確認が出来ませんので、中部さんからの許諾が確認出来ない以上は保留ですね。

    初めて差し上げるメールが、長文になり申し訳ありませんでした。

    文章をチェックしたつもりですが誤字脱字が有りましたら、ご容赦ください。

    • 西 益良さま

      先日はありがとうございました。
      そして早速読んでくださり、ありがとうございます。
      (西さんのコメント、承諾したので、お読みになれていることを祈ります。)

      ブログ、なかなか進みませんが、衝撃的な思い出をこれからも
      覚えている限り書いていきたいと思っていますので
      よろしくお願いします。杉本さんへもお伝えいただけると嬉しいです。
      そして先日はバタバタであまりゆっくりお話しできませんでしたが、
      西さんのケープタウンのお話もまたお聞きしたいです。

      先日頂いた記事にありました大谷さんは、ずいぶん長いお付き合いで、
      東京でもハワイでもよい時間を過ごさせていただきました。
      沖神室という地名は初耳でしたが、ちょっと調べてみますね。

      PS.ブログの表紙?は、私が作ったものではなく、自動的についていたので
      あの鳥も特にアフリカと関係があるわけではないのですよ。。。

      中部洋子

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